少し、私の友人のミニストリーの話しです。
私が参加してきたミニストリーの一部を紹介します。
友人との再会の意も込めて、中央ジャワの都市、プルヲクルトに立ち寄ってきました。
ここに住む私の友人とは、互いにシスターと呼び合う親愛なる友、Niaです。
彼女は1年半前まで、約7年間ジョグジャカルタという都市でプロカンタスの重荷を負い、主に高校生への働きに携わってきました。
しかし、中国系イスラム教徒のお父さんの大反対がついに爆発し、ある日故郷であるプルヲクルトに戻ってくるようにとの電話を受けました。
帰郷後は、厳しい親の反対を受け、故郷から一番近いプロカンタスのアクティビティにさえ参加することが許されませんでした。
1年間悩みながらただひたすら耐えて主に祈り続けた彼女に与えられたのは同じビジョンを持った同労者、Denniでした。
この同労者に励まされ、Niaは時間のゆるされるときにDenniとともにバイブルスタディーを導く奉仕に出かけられるようになりました。
Denniは英語の教師をしており、英語がとても堪能です。
そして同時に主への献身にとても熱心な人です。
アメリカから宣教師として来ているKyleがインドネシア人を励ましたいと願っているビジョンと、Denniの英語を用いて人々に証したいと願っているビジョンとが一致し、彼らは今英会話をキーワードにミニストリーを導いています。
彼が今リードしている主なミニストリーは、英会話クラスと、ミッション系中高校での英語クラスです。
私はその両方に参加させていただきました。
こちらはミッション系中学での英語のクラス。
Denniとともにミニストリーを導く数名がともに参加し、複数のクラスに分かれてクラスを導きます。
英語で簡単な賛美を教えます。
ゲームをするときにその曲を歌いながらする。
今回は日本語の賛美を教えてほしいと頼まれ、「海と空」をみんなで歌って覚えてきました。
一人が救いの証を、私が日本についてを英語で紹介しました。
インドネシアではドラえもんやナルトも有名ですが、なんといっても話題はAKB48。
中学生もヘビロテ?というやつを歌えます。(私のほうが知らないかも)
Denniのミニストリーは、単にキリストを言葉で証するだけではありません。
このクラスの中学生たちのように、両親の選択によってたまたまキリスト教に結びついているというインドネシア人は多くいます。
各自が意識的に救いの確信を受け取ることができるよう配慮しながら語りかけます。
こちらのミニストリーは年齢制限のない英会話クラス。
今回は大学生は休日、中高生はテストがある日だったため、参加者は見込めないだろうとの状況の中で集まってきた参加者たち。
初めて来た学生の中にイスラム教徒もいました。
みなが、「英語を学ぶ機会はあるけど、話すことを通してスキルアップを図りたい」と来ています。
インドネシアはイスラムを国教として認めてはいませんので、公式の場で宗教によって差別が起こるということは表面上ではないことになっています。
しかし、宗教を変える、特にイスラム教徒からキリスト教徒に変わるということは、家族を捨てる決断とほぼ同一です。
他のアジア諸国においても言えることです。
宗教が人々の絆そのものであり、人々のアイデンティティそのものなのです。
逆にキリスト教徒がイスラム教徒になるということは、おかしで言うおまけがついてくるほど待遇されることで、どこからも批判を浴びることはありません。
一般の大学では、多数派が故に自然と大学内にモスク(イスラム教徒の祈りのスペース)があります。
キリスト教徒の家族に生まれ育ちながら、個人的な救いにたどり着かず、大学生活の中でイスラムに身近に触れることを通して改宗する人も少なくはないと聞きます。
イスラム教徒に見られる特徴的な救われ方があります。
それは夢にイエス様が出てくる、というものです。
夢の中でイエス様に「わたしに従いますか」と問われ、目覚めて決心するというイスラム教徒がいます。
インドネシアに限らず、イスラム教圏であればそのように救われた人がいます。
先に書いたように、救われてからが試練ですが。
私自身が感じることですが、インドネシアをとっていうなら、この国には新しく種を蒔く直接的な働きをする器より、すでにある信仰者を励ます働きの器が重要です。
もともとクリスチャン人口の少ない国ですが、その中でもキリスト者として生きていくのに危機感を覚える自覚的なクリスチャンは多くないからです。
Denniのような人を見ると、広いこの国の中の地方都市の片隅で沸騰しているやかんのようにしか思えませんが、その志をたてさせているのも主なのだ、ということを覚えさせられます。
by Yukiko
私が参加してきたミニストリーの一部を紹介します。
友人との再会の意も込めて、中央ジャワの都市、プルヲクルトに立ち寄ってきました。
ここに住む私の友人とは、互いにシスターと呼び合う親愛なる友、Niaです。
彼女は1年半前まで、約7年間ジョグジャカルタという都市でプロカンタスの重荷を負い、主に高校生への働きに携わってきました。
しかし、中国系イスラム教徒のお父さんの大反対がついに爆発し、ある日故郷であるプルヲクルトに戻ってくるようにとの電話を受けました。
帰郷後は、厳しい親の反対を受け、故郷から一番近いプロカンタスのアクティビティにさえ参加することが許されませんでした。
1年間悩みながらただひたすら耐えて主に祈り続けた彼女に与えられたのは同じビジョンを持った同労者、Denniでした。
この同労者に励まされ、Niaは時間のゆるされるときにDenniとともにバイブルスタディーを導く奉仕に出かけられるようになりました。
左から、Denny、友人、Nia、私 |
Denniは英語の教師をしており、英語がとても堪能です。
そして同時に主への献身にとても熱心な人です。
アメリカから宣教師として来ているKyleがインドネシア人を励ましたいと願っているビジョンと、Denniの英語を用いて人々に証したいと願っているビジョンとが一致し、彼らは今英会話をキーワードにミニストリーを導いています。
彼が今リードしている主なミニストリーは、英会話クラスと、ミッション系中高校での英語クラスです。
私はその両方に参加させていただきました。
こちらはミッション系中学での英語のクラス。
Denniとともにミニストリーを導く数名がともに参加し、複数のクラスに分かれてクラスを導きます。
英語で簡単な賛美を教えます。
ゲームをするときにその曲を歌いながらする。
今回は日本語の賛美を教えてほしいと頼まれ、「海と空」をみんなで歌って覚えてきました。
一人が救いの証を、私が日本についてを英語で紹介しました。
インドネシアではドラえもんやナルトも有名ですが、なんといっても話題はAKB48。
中学生もヘビロテ?というやつを歌えます。(私のほうが知らないかも)
Denniのミニストリーは、単にキリストを言葉で証するだけではありません。
このクラスの中学生たちのように、両親の選択によってたまたまキリスト教に結びついているというインドネシア人は多くいます。
各自が意識的に救いの確信を受け取ることができるよう配慮しながら語りかけます。
同じクラスをリードしたDenni(ギター持ってる人)とその仲間たち |
こちらのミニストリーは年齢制限のない英会話クラス。
今回は大学生は休日、中高生はテストがある日だったため、参加者は見込めないだろうとの状況の中で集まってきた参加者たち。
初めて来た学生の中にイスラム教徒もいました。
みなが、「英語を学ぶ機会はあるけど、話すことを通してスキルアップを図りたい」と来ています。
インドネシアはイスラムを国教として認めてはいませんので、公式の場で宗教によって差別が起こるということは表面上ではないことになっています。
しかし、宗教を変える、特にイスラム教徒からキリスト教徒に変わるということは、家族を捨てる決断とほぼ同一です。
他のアジア諸国においても言えることです。
宗教が人々の絆そのものであり、人々のアイデンティティそのものなのです。
逆にキリスト教徒がイスラム教徒になるということは、おかしで言うおまけがついてくるほど待遇されることで、どこからも批判を浴びることはありません。
一般の大学では、多数派が故に自然と大学内にモスク(イスラム教徒の祈りのスペース)があります。
キリスト教徒の家族に生まれ育ちながら、個人的な救いにたどり着かず、大学生活の中でイスラムに身近に触れることを通して改宗する人も少なくはないと聞きます。
イスラム教徒に見られる特徴的な救われ方があります。
それは夢にイエス様が出てくる、というものです。
夢の中でイエス様に「わたしに従いますか」と問われ、目覚めて決心するというイスラム教徒がいます。
インドネシアに限らず、イスラム教圏であればそのように救われた人がいます。
先に書いたように、救われてからが試練ですが。
私自身が感じることですが、インドネシアをとっていうなら、この国には新しく種を蒔く直接的な働きをする器より、すでにある信仰者を励ます働きの器が重要です。
もともとクリスチャン人口の少ない国ですが、その中でもキリスト者として生きていくのに危機感を覚える自覚的なクリスチャンは多くないからです。
Denniのような人を見ると、広いこの国の中の地方都市の片隅で沸騰しているやかんのようにしか思えませんが、その志をたてさせているのも主なのだ、ということを覚えさせられます。
おまけ。アメリカ人宣教師Kyle(右)と一緒に天然足湯へ |
by Yukiko
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